地域活性化起業人及び地域おこし協力隊員の活動内容について
更新日:2026年08月24日
地域活性化起業人&協力隊の日々
地域活性化起業人と地域おこし協力隊をはじめとする外部人材の活動報告noteを開設しました!
毎週水曜日は地域おこし協力隊、金曜日は地域活性化起業人の最新記事を掲載します。
バックナンバーは上記バナーまたは下記URLよりご覧ください。
皆様の「スキ」をお願いします!
第52回 まずは、表を手でつくる。 by小泉
2026年8月21日 09:55
こんにちは!
7月末から8月頭にかけて、白浜町に伺いました。今回はイベントの視察や、ほかの地域活性化起業人の方々と情報交換などもありましたが、僕の担当であるデザインの勉強会もしっかりやってきました。
前回の記事で紹介した、広報誌担当の濱口さんと、議会だより担当の西さん。今回も二人と一緒にInDesignの勉強会です。
まずは、表を手でつくる
今回やったのは「表づくり」です。
InDesignにはもちろん便利な表機能があります。でも、今回はそれを使いません。罫線を引いて、文字を置いて、ひとつずつ上下左右を揃えていく。かなり原始的ですが、あえて手作業で表をつくってもらいました。
なぜそんな面倒なことをするのかというと、表機能を使えば「表の形」は簡単につくれても、罫線と文字のアキやバランスまでは身につかないからです。
罫線を引いて、文字を置いて、上下左右を揃える。左揃え、中央揃え、右揃え、ジャスティフィケーションを使い分ける。表を手でつくるだけで、InDesignの基本操作をいろいろ練習できます。
そして、それ以上に大事なのが、表の中にある情報をどう整理するかです。
表にも、情報の強弱がある
表には縦方向と横方向、それぞれに情報の軸があります。一番上の行や一番左の列には、その中身が「何の情報なのか」を示す見出しが入ることも多いです。
そこを内容と同じ見た目にしてしまうと、どこが見出しで、どこからが内容なのかがわかりづらくなります。見出しを太字にするのか。グレーのベタを敷くのか、色ベタにして白抜き文字にするのか。罫線を入れるのか、入れないのか。太くするのか、細くするのか。
文字も、短い言葉なら中央揃えがいいのか、左揃えがいいのか。文章が入るならジャスティファイするのか、読みやすい位置で改行するのか。罫線と文字の間をどれくらい空けるのかでも、見え方はかなり変わります。
こういう小さな選択で、野暮ったくもなるし、すっきりもする。そして見た目だけではなく、情報の見つけやすさや理解のしやすさも変わります。
小さな選択を、ひたすら繰り返す
デザインって、こういう小さな表現を考えて、選択して、また考えることの繰り返しだと思っています。
僕は仕事でイラストも描きますが、それも同じです。手描きっぽいジャリジャリした線にするのか、シュッとしたきれいな線にするのか。あるいは輪郭線をなくして、ベタ塗りだけで表現するのか。
選択肢はいくらでもあります。その媒体や伝えたい内容にどの表現が合うのかは、実際に手を動かして、試して、比べてみないとわかりません。ここは労力をかけるしかないところです。
……と、イラストの話を始めると別の記事になってしまうので、このあたりでやめておきます。
表も同じです。罫線を一本入れるか入れないか、文字をどこに揃えるか。そういう小さなことを考えて選択する。その繰り返しが、読む人が情報を理解するまでの時間を少しずつ短くしていく。
表づくりは、そういう感覚を覚えるにはとても良い練習だと思っています。
便利な機能は、そのあとで
今回の勉強会では、濱口さんも西さんも、まずは表づくりのさわりまで進むことができました。
次回も一度同じことを復習します。それがある程度できて、罫線と文字のアキや情報の強弱、揃え方の感覚がつかめてきたら、今度はInDesignの表機能を使ってつくってもらおうと思っています。
最初から表機能を使うより、「このアキは何のためにあるのか」「なぜここは揃えるのか」がわかった上で使った方が、理解しやすい表がつくれるはずです。
その次は、画像の切り抜きあたりでしょうか。濱口さんは表づくりも切り抜きもできるので復習になりますが、西さんと一緒にもう一度やることで、基本を再確認する良い機会にもなると思います。
少しずつですが、二人と一緒にできることを増やしていきます。
第51回 嘘であるには良すぎるものたち〜日置の夏のスケッチ〜by マラ
2026年8月19日 08:55
私が住んでいる古い家から数キロ離れたところに、ある駅があります。
マニラや東京のような都市では、ICカードの電子音や券売機に並ぶ列、肩がぶつかるほど急ぎ足で歩く通勤客たちなど、常に動きと騒音に満ちた、慌ただしい駅に慣れていました。でも、日置の駅は違います。小さくて、ひっそりとしていて、まるでそこだけ時が止まってしまったかのようです。誰もが自分のペースでのんびりと通り過ぎていくその場所には、海へ向かうホームと、海から離れるホーム。ただその二つだけがある、とても静かな空間です。
ここに暮らして5ヶ月。この駅は、私にとってすっかり見慣れた、安心する景色になりました。正直に言うと、この小さな町には、もう私をハッとさせるような驚きなんて残っていないだろうと、どこかで思っていたのです。 でも先日、仕事で遠出をした時、静かなホームへ向かって歩いていると、ふと、いつもとは違う景色が目に留まりました。
誰もいない待合室に置かれた古い学校の机の上に、一冊の茶色いノートがぽつんと置かれていました。それは、地元の生徒たちがわざわざ残していってくれたものでした。表紙の裏には、いくつかの言語で、小さくて、とてもまっすぐなお願いが貼られていました。「傷つく言葉は書かないでください。観光で行った場所や楽しかったことをおしえてください。」
ページをめくると、色々な場所から来た人たちの言葉や絵が残されていて、なんだか不思議なほど心が動かされました。慌ててペンを探したけれど、何も書けないまま、時間に遅れないように電車に飛び乗りました。ガタガタと揺れる車内で、見慣れた海沿いの景色が窓の外を流れていく間も、あのノートのことが頭から離れませんでした。
そういえば、私はこの町で一体何を見て、何をしてきたんだろう?
英語には「Too good to be true(本当であるには良すぎる)」という言葉があります。信じられないくらい素晴らしいことが起きた時、そこにはきっと何か裏があるはずだ、という意味です。大人になるにつれて、私たちは少し皮肉屋になり、いつか魔法は解けてしまうものだと考えるようになります。生きていく中で避けられない心の痛みを、少しでも和らげるために。
でも以前、あるエッセイで全く逆の考え方を読んだことがあります。この世界には、私たちの想像や希望をはるかに超えるほど美しくて、不思議な瞬間がある。それは決して手品や錯覚ではなく、疑う余地もないほど心にまっすぐ届く「嘘であるには良すぎる(too good to be false)」ものなのだ、と。
日置で過ごしたこの夏は、まさにそんな瞬間の連続だった気がします。もしあの時、もう少し時間があったなら、私はあの真っ白なページにこう書いていたと思います。
一枚目。時間が美しく流れていくのを見ました。 ここには空き家がいくつかあるけれど、悲しい感じはしません。古い家々は分厚い緑のツタに静かに包み込まれています。人が離れた後でも、自然はその上に新しいものを育て、新しい始まりをくれる。錆びた鉄や朽ちた木でさえも、新しい命を吹き込まれて深呼吸しているように見えました。
二枚目 。見慣れたはずの道が、また新しくなるのを見ました。 コンビニで買ったおやつを片手に歩いて帰る途中、ふと振り返ると、アスファルトが黄金色に光り輝いていました。一瞬、どこか遠くの世界に迷い込んでしまったのかと思ったほどです。この町が私の「日常」になった今でも、まだこんな風にハッと息を呑む瞬間があるのだと気づかせてくれました。
三枚目 。同じ日常を分かち合う人たちと一緒に、光が消えていくのを見ました。 ジェイド、ドニー、そして私の3人で砂浜に座り、白浜の花火を待っていた時。人生のこの特別なページがどんなものか、世界で一番理解し合える人たちと静かな時間を分かち合うことには、不思議で、とても深い安らぎがありました。
四枚目 。そして8月。この世とあの世の境界が薄くなるお盆の季節に、私は、亡くなった大切な人たちを近くに感じさせてくれる空を見ました。 夕暮れ時の静かな帰り道、先に旅立ってしまった家族や友人を恋しく思う、あの懐かしい痛みが胸に込み上げてきました。おばあちゃんに抱きしめられて、もう一度私の名前を呼ぶ声が聞きたい。短くも濃い時間を一緒に過ごした、もうここにはいない友人に、保育園の子どもたちの可愛いエピソードを聞かせたい、と。
でも、その夕日は—濃いブルーの海を優しく包み込むような、温かくて黄金色の夕日は—彼らが、私が思っているほど遠くにいるわけではないと教えてくれました。故郷から何千マイルも離れたこんな場所にいても、私は決して一人ではありません。亡くなった大切な人たちと分かち合った思い出も、日置にいる皆さんと手を取り合って創り出している今この瞬間も、私がここで見た息を呑むような景色と同じ。どれも「嘘であるには良すぎる」ほど素晴らしいものですよね?
実は数日後、私はペンを持って、あのノートに書き込むために駅へ戻りました。でも、あの静かな待合室に着くと、茶色いノートはもうそこにはありませんでした。生徒たちが回収してしまったのか、それとも別の場所に移動されたのかもしれません。
チャンスを逃してしまったと、一瞬少しだけ残念な気持ちになりました。でも、私にはここにもう一つの真っ白なページがあることに気がついたのです。
あのノートを駅に置いてくれた生徒たちへ。 この夏、私は有名な観光地には行きませんでした。でも、古い家を優しく支えるツタや、黄金色に変わるアスファルト、そして愛する人たちを近くに感じさせてくれる空を見ました。皆さんのこの町での暮らしを、私は心から楽しんでいると伝えたかったです。そして何より、日常の中に隠れている、美しくて疑う余地のない驚きに気づかせてくれて、本当にありがとうございました。
今日のフィリピン語 (Today's Filipino):Lola(おばあちゃん)
今回ご紹介したいフィリピンの言葉は「lola(ロラ)」です。「おばあちゃん」という意味です。
今、この記事を書いている日本の8月は、この世とあの世の境界が薄くなるお盆の季節ですね。このエッセイにも書いたように、日置で息を呑むほど美しい夕日を見上げた時、私が真っ先にその瞬間を分かち合いたいと願ったのは、私のlolaでした。
フィリピンでは、祖父母やお年寄りに深い愛情と敬意を示す時、「mano po(マノ・ポ)」という伝統的な挨拶をします。Lolaの右手をそっと取り、自分の額に当てる、祝福と感謝のジェスチャーです。海と町を優しく包み込むような夕日の温かさを感じた時、私の額に触れるlolaの温かい手と、ハグの記憶が鮮やかに蘇ってきました。
このお盆の時期、あるいは美しい夕日を見上げるどんな時でも、皆さんが少しでも自分のための時間を見つけて、皆さんの人生を温かく包んでくれた大切な人たちの記憶に、そっと想いを馳せることができますように。
Things Too Good to be False: Vignettes of Summer in Hiki
A few kilometers away from the old house I live in, there’s a train station.
In cities like Manila and Tokyo, I grew used to stations buzzing with motion: the beep of IC cards, the lines at the ticket booths, the rush of commuters pressing against each other shoulder to shoulder. But Hiki’s station is different: it’s small and unassuming, a concrete building that looks a little bit like it’s been frozen in time. It’s a quiet place where people pass through at their own unhurried pace, with two platforms that either carry you toward the sea or away from it.
Five months in, it’s become a familiar sight. And to be honest, I’d thought the shape of this town had run out of ways to surprise me. But on a recent work trip, as I headed towards the platform, I spotted something out of the ordinary.
Sitting on a school desk in the waiting area was a plain brown notebook, purposely left behind by local students. Taped inside the cover was an earnest request printed in different languages: "Please do not write anything hurtful. Please tell me about the places you visited for sightseeing or the things you enjoyed."
I felt strangely moved as I flipped through the pages and found passages–even drawings–made by people from all sorts of different places. I scrambled to look for a pen, but before I could leave anything, I had to rush towards the train to make it to my appointment on time. I couldn’t stop thinking about that notebook, as the carriages rattled forward and the coastal scenery blurred past my window.
Thinking about it, what have I actually seen and done here?
We have a common saying in English: "too good to be true." It implies that when something seems incredibly wonderful, there is usually a catch. Growing up teaches us to be a little cynical, to expect the illusion to break. It softens the blow of inevitable heartache, doesn’t it?
But I once read an essay that argued the exact opposite. The writer suggested that some mysteries and moments in this world are so profoundly beautiful–so far beyond our wildest hopes–that they bypass our doubts completely. They aren't tricks or illusions. They are things simply too good to be false.
I realized that this is exactly what my summer in Hiki has felt like. If I had a little more time that day, I think this is what I would have written on those blank pages:
Figure 1. I saw the passage of time. There are abandoned houses here, but they don't feel sad. Instead, they’re wrapped in thick, green ivy, showing me that when things are left behind, nature just grows something over them for a new beginning–that even rust and broken wood can breathe with new life.
Figure 2. I saw a familiar road become new again. Walking home from the convenience store with snacks in my hand, I turned around and saw the asphalt glowing in golden light. For a minute, I thought I’d been spirited somewhere far off. It made me realize that this town has become my daily life, yet it can still take my breath away.
Figure 3. I saw the light fade alongside people who share my everyday. Jade, Donnie, and I sat on the sand waiting for the Shirahama fireworks. There’s a strange, profound comfort in sharing a quiet moment with the only people in the world who truly understand what this specific chapter of life feels like.
Figure 4. And, because it is August–and Obon, when the veil between this world and the next is thin–I saw a sky that made me feel close to those who are gone.
On a quiet trip home during sundown, I felt the familiar ache of missing friends and family who have passed. I longed for my grandmother’s embrace and to hear her voice call my name again. I wished I could share stories about the preschool with a friend who’s been gone longer than we knew each other in her short life.
But that sunset–warm, golden, and encompassing the dark blue sea–made me realize they aren’t as far away as I feel. Even here, miles and miles away from home, I’m not truly alone. The memories I’ve shared with loved ones who are gone, and the moments I’m creating hand in hand with everyone here in Hiki are just like the breathtaking views I’ve seen in my time here: they’re too good to be false, aren’t they?
I actually went back to the station a few days later, pen in hand, ready to leave my answer. But when I walked into the quiet waiting area, the plain brown notebook was gone. Perhaps the students had already come back to collect it, or maybe it had simply been moved to another place.
For a moment, I felt a pang of regret that I had missed my chance. But then I realized I have a different kind of blank page right here.
To the students who left that notebook in the station: I didn't visit any famous sightseeing spots this summer. But I saw vines gently holding up old houses, asphalt turning to gold, and skies that made me feel close to the people I love. I wanted to tell you that I truly enjoyed living in your town this season. And most importantly, I wanted to thank you for reminding me to pay attention to the beautiful, undeniable surprises hiding in the everyday.
Today’s Filipino: Lola (Grandmother)
The Filipino word I’d like to introduce today is “lola.” It means “grandmother.”
In Japan, it’s currently Obon as I write–a time when the veil between this world and the next is at its thinnest. Like I wrote in this essay, when I looked up at the breathtaking sunset in Hiki, the first person I longed to share the moment with was my lola.
In the Philippines, when we want to show deep love and respect to our grandparents and elders, we do a traditional greeting called mano po. It is a gesture of blessing and gratitude where we gently take an elder’s right hand and press it to our forehead. When I felt the warmth of the sunset gently enveloping the sea and the town, the memory of my lola's warm hand on my forehead and her hugs came vividly back to me.
During this Obon season, or whenever you look up at a beautiful sunset, I hope that you can find enough time for yourself so that you may gently turn your thoughts towards the memories of the precious people who have enveloped your own life.
総務課 企画政策係
〒649-2211 和歌山県西牟婁郡白浜町1600番地
電話:(0739)43-5555 ファックス:(0739)43-5353









